夕張メロン隆盛のヒミツ。ふと思い付いて取材した、どこに提出するあてもない無償の小論。書いてて楽しかったです。夕張に行った経験ないのはもちろん、當地のメロンを食べたこともないんですけど。
2008.03up
Ⅰ.夕張メロン概論
うれしい果物/前史/試行錯誤/夕張メロンの誕生/食卓へ
Ⅱ.夕張メロン成功の祕密
血統/ブランド管理/風土/労働力/イメージ
Ⅲ.夕張と夕張メロンの今後
Ⅰ.夕張メロン概論
■うれしい果物
いただいてうれしい果物はメロン、夕張メロンだったらなおさらです。いただきもののメロンの食べごろの時期を判斷するのはむずかしいものですが、夕張メロンのばあいは表皮を押して実の柔らかさを確かめる必要はありません。食べごろになれば表面がうすく金いろに色づいて、ゆたかな香りがたちます。緻密な網目もようの表面に包丁をあてると、なかの果肉は赤みを帯びていて、スプーンですくって含むとクリームのようになめらかな舌觸りとともにさっぱりとした甘さが口中にひろがります。
一般的なメロンの糖度(甘さをしめす値)は15°ぐらい。じつは夕張メロンはこれよりも糖度が低く、12°程度で他のものよりも甘くないのですが、獨特の食感があとあじの良い甘みを引き立てています。このメロンは1960年北海道の夕張で生まれた品種で、いまではメロンといえば「夕張メロン」とお客様に指名される、北海道の代表的な農産物のひとつとなりました。
■前 史
いずれの商品の場合もそうなのでしょうが、夕張メロンが現在のような隆盛を獲得するまでには、やはり苦労がありました。1950年代の夕張はご存知のとおり炭坑中心の鉱業の町で、農家は兼業がほとんど。お父さんは鉱山(やま)で働き、お母さん・おじいさん・おばあさんが畑をまもるという狀態がふつうでありました。
北海道の農業といえば、ひろい畑でジャガイモとトウモロコシをつくっているものと想像されるでしょうが、夕張の畑は北海道の平均耕地面積(農家一戸あたり)の四分の一ていどです。本州にも市場をもつ産品のある他の地域とはちがって、炭坑ではたらく家庭に供給する野菜などがおもな作物でした。
■試行錯誤
これではいけない、農業だけで暮らせる農家を育てたいと考えた夕張の農協・農業試験場は、狹い畑でも生産性の高い作物をこの土地に根づかせる努力をしておりました。長芋や苺を導入したのもそのころです。ちいさな成功と失敗をくりかえした試行錯誤ののちに、アメリカ原産のスパイシー・カンタロープというメロンの品種が夕張の土地にあうことが発見されました。果肉がオレンジ色で珍しいし、香りもよい。しかし惜しむらくは甘みが欠けている點が難でありました。
■夕張メロンの誕生
すじの良い品種をもっと良くしていくのは交配、かけあわせです。スパイシー・カンタロープと數十もの他の種のメロンとの交配が試みられました。その甘さの質から有望視されたのはアールス・フェボリットという、一世を風靡した靜岡特産のプリンスメロンの品種群です。それは靜岡の農民たちが品種改良の歴史を経てつくった優秀な品種ですから、種も町の園芸品店に売っているようなものではありません。夕張の農業試験場の技官は苦心のすえ、門外不出のその種子のいくつぶかを入手することができました。
交配のけっか、三十二種類あったアールス・フェボリットの品種のなかのひとつとの組み合わせが最適だとわかりました。香りがたかく甘く美しい、二つの品種の美點を併せもったメロン、それは夕張メロンと名づけられました。良い作物を望んでいた七軒の農家が夕張メロンの栽培をはじめました。
■食卓へ
1960年、はじめての収穫の年に東京の青果市場にもちこまれた夕張メロンの評判は、さんざんでした。それまでのメロンとはぜんぜん違う夕張メロンの果肉の赤さが※、カボチャのようだと評されて市場の仲買人たちに受け入れられなかったのです。今とは比較にならないほど高級品だったメロンのなかにあって、“カボチャメロン”の夕張メロンだけは安く買いたたかれてしまう始末でした。
それでも農協関係者、農家のひとたちは市場での不評にめげることはありませんでした。ほんとうによいものなら東京の消費者にも喜んでもらえるはずだと信じていましたし、自分たちの子供のような夕張メロンは、ほんとうによいものであると知っていたからです。彼らは銀座の歩行者天國でメロンを試食してもらい、百貨店や果物屋さんを一軒一軒、訪問してまわりました。
そして市場の評価を変えたのはお客様の反応でした。果物屋さんの店頭で夕張メロンを求める消費者がすこしづつ増えていったのです。夕張のメロンを頂戴、いただきものの赤いメロンがおいしかった、赤いマスクメロンありますか、あのメロンをお歳暮に使いたいんだけど----。
現在は、ギフト需要にかぎらず自家消費用のちょっとだけぜいたくな果物としても日本中の食卓で、夕張メロンはうれしい顔に囲まれています。またパイなどのお菓子や、飲料のフレーバーとしても利用されるようになっていることは皆さんもご存知でしょう。
※果肉の赤は、たしかにカボチャ・ニンジンと同様のカロチン
による色み。
Ⅱ.夕張メロン成功の祕密
■血統
夕張メロンの父はスパイシー・カンタロープ、母はアールス・フェボリット。ここまではわかっていますが細かい血統は祕密です。また夕張メロンはF1、一代雑種だから、買ってきたメロンの種を蒔いても芽は出ないようになっています。夕張メロンのおいしさを守れるのはそれをだれよりも愛している夕張の農家だけ、同じ品種・同名で他地域産の品質の良くないものが市場に出まわることを防ぐためです。夕張の農業試験場ではもっとおいしい夕張メロンをつくるために1960年以降も四十年近く品種改良の努力を続けていますが、やはり初代を超える品種はできないそうです。
■ブランド管理
夕張農協では品質管理、出荷時期など各栽培農家が足並みをそろえるよう調整して夕張メロンにたいするお客様の信用を維持することに努めています。夕張メロンは、農産物できびしいブランド管理をおこなった最初期の成功例といえるでしょう。もちろん「夕張メロン」の名は商標登録されています。わたしたちが果物屋さんの店頭でえらぶ際には、夕張メロンのマークの付いたものであれば安心です。ことしの出荷開始日は5月14日、それ以前に出まわっているものは出自のあやしいニセモノです。
■風土
果物はあたたかい土地が適している思いがちですが、夕張メロンは年間平均気溫が低いその故郷になじんでいるようです。これは父親のスパイシー・カンタロープの寒さに強い特徴を受け継いだものです。むしろ暖かい気候では、甘みがうすいですし表面をかざる網目もようもきれいに浮かばない、夕張メロンとはいえないものができてしまいます。また、もともとウリのたぐいは中東原産ですから、北海道の少ない降雨量もメロン栽培に有利です。さらに夕張の土壌は火山灰土で水はけが良い。夕張メロンは夕張の気候風土のなかで生まれるべくして生まれたようです。
■労働力
夕張メロンの栽培は手間がかかります。メロン栽培農家はほとんど専業となっていましたが、それでも収穫時など農繁期には人手が足りません。そこで利用するようになったのは炭坑に勤務する世帯の主婦パートの労働力。廉価で豊富な労働力の供給が得られたことが成功の背景にありました。
■イメージ
北海道の農産物は一般的に良い印象を持たれています。乳製品など「北海道」を含んだ商品名をもつ加工食品も多いようです。夕張メロンのブランドにも北海道の高品質イメージがポジティブな影響を與えていることは確かです。また、夕張の地名自體がもたらす影響もみのがせません。
沈む太陽が大地のうえのすべてのものたちをあかね色に染める、見たこともないのに懐かしい夕張のあの風景。その記憶を閉じ込めた丸いかたち。夕張メロンは地名のもたらす心象風景に祝福されています。
Ⅲ.夕張と夕張メロンの今後
夕張市の人口は炭坑の最盛期には十二萬人でしたが閉山後の現在は一萬七千人、人手不足は深刻です。連作障害も問題になっています。他の北海道の畑で通常採られているのはジャガイモ・ビート・豆・小麥の輪作體系ですが、メロンを作りつづけた夕張では連作障害が発生しています。現在は休ませている畑に牧草などを緑肥作物として栽培していますが、メロン以外に換金性のたかい作物の導入が望まれています。農産物貿易の自由化が進んで市場に出回るようになった、色とりどりの輸入果物も、てごわいライバルになってきました。かならずしも時代は夕張メロンに追い風ではありません。
ただ、夕張の人たちはその土地と夕張メロンが大好きなのでしょう、先人たちの努力を受け継ぐ後継者の點で夕張の農家は恵まれています。彼・彼女らはこれからも、あの金いろの充実した果物をわたしたちのテーブルに屆けていきたいとねがっています。